さいたまに在る教会ホームページ
さいたまに在る教会・さいたま召会・The church in saitama

異端を識別する
(ウォッチマン・ニー全集第五○巻抜粋)

 異端を識別する標準的な決まり

 若いクリスチャンは異端を取り扱うことができません。一番良いのは、若いクリスチャンがそれらから全く顔をそむけることです。しかし、もしあなたが教会のない場所にいるか、一人っきりでいるのなら、ある教えが異端であるかどうかを試す十の基準があります。もしこの十の基準のうちのどれかがその状態に合うのなら、あるいは人がその十の事柄のうち一つでも教えるのなら、あなたが持っているものは異端です。あるグループが異端的であるかどうかを決めるものは、それが生み出す教えの量ではなく、異端があるかないかです。異端がある限り、そのグループはおしまいです。わたしは、少しの異端が混ざっていて多くの真理のあるメッセージを聞くよりは、むしろ少しの真理しかなくても異端が全くないメッセージを聞きたいです。少しの毒でも人を殺すことができます。同じように、少しのパン種が全体を発酵させます。これらの異端の幾つかは、特別な賜物のある人によってしか識別することができません。異端を識別することは、容易なように見えるかもしれませんが、実際はそんなに単純ではありません。わたしたちは、その教えが少しでも異端を含んでいるかどうかを問う必要があります。もし含んでいるのであれば、たとえ残りが良いものであったとしても、わたしたちはそれを捨てなければなりません。

 多くの種類の異端があります。ある異端は完全に主を否みます。あるものは、奇跡、驚異のわざ、占いの分野に属します。あるものは予言、またあるものは死後の裁きに関する質問、肉体の情欲の苦行と関係があります。さらに、それぞれの種類の異端は多くのさまざまなグループによって広められています。多くの異なった種類の異端があり、その間違いにおいてみな異なっています。しかしながら、一つの事でも間違えていれば、それらは異端を構成します。しかし、わたしたちはある教えを異端と呼ぶことができる前に、堅固な証拠を持たなくてはなりません。異端とは強い言葉ですから、わたしたちはだれかを軽々しく異端であると非難してはいけません。さて、異端を識別する十の事柄を検討しましょう。

1.聖書の権威

 異端の一番目の種類は、聖書の権威に関するものです。テモテへの第二の手紙第三章十六節は、「聖書はすべて、神の息吹かれたものであり」と言っています。クリスチャンの信仰と行為は絶対的に聖書に基づいています。イザヤ書第八章二〇節は、「おしえとあかしに尋ねなければならない。もし、このことばに従って語らなければ、その人には夜明けがない」と言っています。この節で言われているおしえとあかしは、聖書です。すべては聖書によって測られなければなりません。もしだれかが別の標準によって何かを測ろうとするのなら、その人は異端を教えているのです。最も名の知れた異端は、今日、別のものを標準として建てあげています。例えば、ある人は教会が標準であると言うでしょう。またある人は、聖書は一般的な標準を据えており、教会は特定の標準を据えていると言います。彼らは、聖書に加えて多くのおきてを提示します。わたしたちは、人や組織に教えや決定の基礎を据えている、どんなグループとも交わりを持つことはできません。聖書に何かを加えることは異端です。ある人たちは、聖書は正しいが、自分たちはなおその上に霊感を受けたと言いました。これは確かに一つの異端です。例えば、上海で、聖書を学ぶ学生のあるグループは、人は聖書を知ることができる前に、自分たちの「聖書の研究」を読まなければならないと主張しました。彼らは、ラッセル派、あるいはエホバの証人として知られています。彼らは、神の言葉に加えて別の権威を持っているのです。これは間違っています。クリスチャン・サイエンス派を考えてみてください。彼らは、自分たちの言葉が聖書と同じ立場を持っていると主張します。だれでも、自らの言葉を聖書と同じレベルに置く者は、確かに異端的です。人は聖書を離れてはいかなる権威も持つことができません。超自然的現象を信じる人たちは、聖霊は一方では聖書を通して語るが、もう一方では、それらを通して別に語るとも言います。彼らは、神の啓示が一つの完全な実体であることを認識していないのです。すべての啓示は互いに補足し合っています。そこには矛盾というものはありません。新しい語りかけは、聖書に記録されている確立された啓示を補い合うものでなければなりません。ですから、聖書から逸脱したり、権威の立場へとそれていくものは、どんなものでも異端です。

Top

2.キリストのパースンに関して

 二つ目の種類の異端は、キリストのパースンと関係があります。サタンが異端を導入する最大の目的は、キリストのパースンを攻撃するためです。聖書はわたしたちに、主イエスご自身が神であることを示しています(ヨハネ一・一−三)。しかしサタンは、キリストが神であることを人に拒ませたいのです。キリストのパースンに関して、聖書はわたしたちに、(一)主イエスが神であること、(二)彼が神の子であること、(三)彼が神によって任命されたキリストであること、(四)彼が完全な人であること、(五)復活の後、彼は天で神と人の両方であること、を示しています。その時、神は彼を主ともキリストともされました。ある人は、彼はどのようにして人と神と神の子となることができるのかと尋ねるでしょう。彼らは、これが混乱させるものであって、キリストがだれであるのか知ることのできる者はいないと考えるでしょう。あなたはただ彼らに、聖書がそう言っているのだと言うことができます。キリストもまた、御父の啓示によってでなければ、だれも御子を知ることはできないと言われました(マタイ十六・十七)。主は、ご自身のパースンを知ることは容易ではないことを認められました。異端は、主のパースンの一つの面だけを認めますが、すべての面は認めません。しかし、彼のパースンの一つでも拒絶することは、異端としての教えを構成するのに十分です。各時代にわたって、多くの異端が主イエスのパースンの一つか、それ以上の面に攻撃を集中させてきました。彼のパースンの一つの面であっても、それを無効にする限り、主の全体の働きを無効にするのです。例えば、ある人たちは、主イエスは人ではなかったと言います。これは、彼の血を通しての贖いの働きを無効にします。ある人たちは、彼は神ではないと言います。これは、彼の罪の赦しにおける働きの力を無効にします。キリストのパースンを攻撃する者は、彼のパースンのすべての面を攻撃する必要はありません。彼らが一つの面を無効にするだけで、彼らは異端と呼ばれるのに十分に資格づけられます。

 人は聖書について多くの種類の誤解をしています。これらの誤解のいくつかは、弁解できるものであり、あるものは弁解できないものです。キリストのパースンに関してはわたしたちは、その完全さを擁護することにおいて、とても厳格でなければなりません。あなたはキリストのパースンについての多くの教えを理解していないかもしれませんし、それらを満足いくように説明することもできないかもしれませんが、あなたは事実を認識しなければなりません。ほとんどの異端が、その攻撃をキリストのパースンのある面に向けています。これがサタンの究極的な目標です。使徒ヨハネはこれを老年になって指摘しました。キリストはひとりの人であって、イエスはまた別の人であると言うのなら、その人は異端を伝えています。キリストの死と復活の後、そこには霊があるだけで、キリストは存在することをやめたと言うのなら、その人も同じように異端を伝えているのです。神は最初に「言」を創造されて、その言は神の最初の創造であって、その後でその言が天と地とすべての被造物を創造したと言うのなら、その人は異端を伝えています。キリストは、神に従属し、天使たちにまさる一つの霊であって、地に来て、人と成ったと言うのなら、その人は異端を伝えています。ある人たちは神の御子を、地上の人イエスから分離します。ある人たちは地上の人イエスを、復活し昇天したキリストから分離します。ある人たちは、ナザレのイエスが今や天にいることを拒絶します。人は二つのナイフを使い、一つで神の御子とナザレのイエスを切り分け、もう一つで人イエスを、復活し昇天したキリストから切り分けます。これをする者は、異端を伝えています。サタンはキリストのパースンを混乱させようとします。ヨハネの第一の手紙第三章は、神の御子が悪魔のわざを破壊するために現れたと言っています(八節)。もし人が、神の御子イエスが肉において来られたことを認めないのなら、それは、悪魔を破壊する主のみわざを認めないという意味です。ですから、キリストのパースンを破壊する者は、神の計画を破壊するのです。

 ヨハネの第二の手紙七節は、「イエス・キリストが肉において来られたことを告白し」ない者は、惑わすものであると言います。人は、地上のイエスが人であったことを信じるかもしれませんが、彼が肉において来られた神であることを信じないかもしれません。これは、神の御子と地上の人とを分離します。十節はとても厳粛な言葉であり、愛に満ちている人によって語られています、「もしあなたがたの所に来る人が、この教えを持って来ないなら、彼を家に迎え入れてはいけません。彼に『ごきげんよう!』と言ってもいけません」。十一節は言います、「彼に『ごきげんよう』と言う者は、彼の邪悪な働きに加わることになるからです」。主を愛する者は、彼のパースンを愛し、保護しなければなりません。ヨハネの第一の手紙第四章一節は言います、「すべての霊を信じることはしないで、それらの霊が神から出ているかどうかを試しなさい。なぜなら、多くの偽預言者が世に出て来ているからです」。二節は、別の方法で事実を述べている以外は、ヨハネの第二の手紙七節と同じです。三節は、コリント人への第一の手紙第十二章三節と同じで、次のように述べています、「すべてイエスを告白しない霊は、神から出ていません」。イエスを告白しないことは、彼を主イエスとして認めないことです。イエス・キリストが肉において来られたことは、彼の地上での歴史とかかわりがあります。彼が主となられたことは、彼の栄光の中での歴史とかかわりがあります。神はペンテコステの日に、彼を主として宣言しました。エホバの証人は、イエスは死んで、決して復活しなかったと主張します。彼らは、イエスが十字架につけられて三日の後に、「神聖なイエス・キリスト」が生まれたと言います。これは異端です。これは単なる解釈の違いではありません。主イエスのパースンを異なる実体へと分解するものはすべて、異端者です。異端者は常に主イエスの一つのパースンを異なる幾つかのパースンへと分解します。多くの異端は、わたしたちの主イエスのパースンを破壊することを目的としています。

Top

3.人の罪について

 ある異端は、罪の問題を完全に拒絶しようとします。聖書ははっきりとわたしたちに、人は罪を犯したと告げています。人が罪を犯したと言うことによって、聖書は二つのことを意味しています。第一に、人は行動において罪を犯しました。これは行動における罪です。第二に、人は神に対して罪を犯しました。これは神のみ前での罪です。両方とも聖書の中では罪であり、両方とも事実です。とても良い性格をしている人もいますが、しかし彼らもやはり神の御前では罪深いのです。罪に関するこれら二つの事実を拒絶するいかなる教えも、異端です。ある人たちは、人には罪が無いことを哲学によって証明しようと試みました。またある人たちは、人の哲学的構成によってそれを証明しようと試みました。ラッセル派(あるいはエホバの証人)だけでなく、クリスチャン・サイエンス派もまた、この部類の人々へと落ち込みました。彼らは異端です。人が罪を犯さなかったと言うことは、贖いの働きと救い主の必要性とを無にします。このように言うことは、わたしたちの宣べ伝えている福音が偽りであると言うことと同じです。人に罪がある事実を拒絶する者はすべて、異端者です。

Top

4.キリストの贖いに関して

 聖書ははっきりと、わたしたちの罪は主イエスの血によって洗われると言っています。キリストの贖いは聖書の真理です。キリストの福音には、二つの基本的な事実があります。第一のものは、キリストのパースンとかかわりがあり、第二のものは、彼の働きとかかわりがあります。彼の働きは、彼の血が流されることを通して人を贖いました。これらの二つの面のどちらか一方でも否むことは、キリストの福音を否むことです。キリストの贖いに関して、人の思いはサタンによって欺かれて、多くの異様な、よこしまな教えを考え出し、人の想像もつかないような結果へともたらされました。人々は主の働きを覆そうと試みます。ある人々は、罪の実在を覆すことによって、それを覆そうとします。彼らは、人に生まれつき備わっている罪の事実を否定します。これは、キリストの贖いの必要性を無にします。ある人たちは血を覆そうとします。彼らは、キリストの血の贖いの性質を認めません。これもやはり、キリストの贖いの働きを無にします。ペテロの第二の手紙第二章一節は、自分たちを買い取った主人を否む人たちのことを語っています。これは確かに異端です。

Top

5.永遠の裁きに関して

 ある人は、主イエスのパースンと働きを信じます。彼らは、人の罪深さ、そしてキリストの贖いを信じます。しかし、彼らは永遠の裁きの事実を覆します。彼らは、死に関する二種類の教えを広めることによってこれを否みます。第一に彼らは、人が死ぬ時はただ眠るだけだと言います。彼の体は眠っており、彼の魂もまた眠っています。体も魂も、もう何の意識もありません。主が彼を復活させるとき、彼はもう一度起き上がります。現在の彼の死は、単なる時間の切れ目に過ぎません。しかし主は、人が死んだ後、彼はやはり多くのことを意識していると言います。十字架上で、彼は盗人の一人に、まさしくその日パラダイスで彼と一緒にいるだろうと言いました。ルカによる福音書第十六章で、主はラザロと金持ちの話をしました。彼らが死んだ後で、両方ともハデスに行きました。疑いもなく、彼らは多くのことを意識していました。聖書が人の死を一種の眠りとして指すのは真実です。しかし、これは人の体だけを指しています。人の魂は眠りません。人は、罪の結果を小さくするためにこの理論を考えつきました。これは異端です。第二に、第二の死は永遠の裁きでなく完全な消滅または永遠の破滅であり、そこで人の存在は完全に終わると言う人がいます。しかし聖書で使われている「殺す」(マタイ十・二八)という言葉は、古い皮袋が「裂ける」(九・十七)というときに使われている言葉と同じです。皮袋は破れ、裂けましたが、まだあります。それは存在するのをやめていません。キリストは、体を殺しても、魂を殺すことのできない者たちがいると言いました(十・二八)。彼はまた、ゲヘナではうじは死なず、火は消えないと言いました(マルコ九・四八)。永遠に破滅した人は、火の池で永遠に苦しむ人です。これが神の御言です。これは、人が死んだ後、その存在は終わらないということを証明します。どんな人でも、第二の死を無効にすることは、異端を宣べ伝えることです。そのような宣べ伝えは、キリストの贖いの働きを尊重しません。

Top

6.奇跡といやしに関して

 聖書は、多くの奇跡と不思議な働きを記録しています。多くのそのような奇跡は、病気を治すことに関連があります。これは、神によって使われるしるしです。しかし、この世の多くの異端は、奇跡と不思議な働きによって人を引きつけます。主は、彼が再来する前に、多くの奇跡が現れて人を惑わすであろうと預言しました(マタイ二四・二四)。異端の教えの大部分は、病気を治すこととかかわりがあります。こうした異端は、その治す力によって人を引きつけます。わたしたちは、あらゆる形式のいやしと超自然的な現象に注意しなければなりません。聖書の中の奇跡と超自然的な出来事は、人の手を通し聖霊によって始められました。聖霊は、イエスを主と認めます。彼は主のために証しします。信仰があり、神からの言葉があり、祈って、主の名の中で病気の人に油を塗るというような言葉を信じる人の何も間違っていません。しかし、ある異端のグループの一部の奇跡を行う人たちは、全く病気と死を信じません。彼らは、病気や死はうそであると言います。しかしおもしろいことに、彼ら自身もやはり死にます。クリスチャン・サイエンス派は、老化や病気や死を信じません。メリー・ベーカー・エディーが死んだ後、スキャンダルが起こりました。彼女は遺言で、ある金額のお金が彼女の信奉者に与えられるように指示しました。それでも彼女の信奉者は、彼女は死ななかったと裁判官の前で主張しました。裁判官は、これはばからしいと思いました。なぜなら、彼女が死ななかったとすれば遺言は効力を発せず、教会は彼女の遺産の権利を主張することができません。しかし、彼女が死んだのであれば、それは、病気、苦痛、罪、死はないという彼女の教えの反証になるでしょう。わたしたちは、あまりいやしや奇跡的なことに悩まされてはなりません。病気は事実です。ある病気は、自然の法則の結果です。ある病気は、サタンからの攻撃の結果です。ある病気は、罪の結果です。一面、わたしたちは病気と死の存在を信じます。もう一面、わたしたちはまた聖霊の働きの自由な現われとして、超自然的な行為を信じます。この方はいつもイエス・キリストを主と認めます。しかし、わたしたちはまた、この世は奇妙で不可解なことを信じるのが好きであると理解しなければなりません。わたしたちは、こうしたことを識別する際に注意しなければなりません。

Top

7.予言に関して

 多くの人は、主が再び来ると信じます。しかし主は、彼の再来の日については誰も知らない、天の御使いたちも、子も知らないと言いました。これは、キリストの再来の日に関する基本的な原則です。エホバの証人は、キリストが一八七四年に来たと信じます。グループの創始者チャールズ・T・ラッセルはこの教えを説きました。そして、彼の追随者ジョセフ・ラザフォードもこの教えに続きました。奇妙なのは、彼らは主の再来を見たと主張していますが、わたしたちはそれを見ていないということです。彼らは、わたしたちはすでに千年王国にいる、それがタイプライター、電話や自動車のようなあらゆるすばらしい発明がある理由であると言います。ある人はまた、主イエスが一八四四年に天の至聖所に入ったと信じます。ある人は、キリストは一九一八年に来たと言います。聖書の中の二つの個所が、一日を一年とするということを言っています。それは民数記第十四章三四節とエゼキエル書第四章六節です。ある者はこれらの節に議論の基礎をおいて、あらゆる予言において一日は一年を示すという説を立てます。しかし、神はある特定の事において一日を一年とすると言っただけでした。彼は、これがすべての場合にあてはまるとは言われませんでした。この一日一年理論にしたがってキリストの再来の日を計算するのは間違っています。ダニエル書の中の七十週は、一日一年理論に合うかもしれません。しかし、それ以外のあらゆる日は、単なる一日であると考えられなければなりません。もしある人が、一日はいつも一年であると言うのなら、千年王国は三十六万年になるでしょう。ある人は、もし短い一日が、それほど長い一年と解釈されることができ、しかしその長い一年は十分に長い期間であるので、それ以上の解釈の必要がないと論じます。これらの事について議論するのは面倒なことです。わたしたちは、こうしたことで悩ませられる必要はありません。一日一年理論に基づくキリストの再来の日を予測する人々は、すべて異端となる危険にさらされています。

Top

8.生きている人と死人との間の交信

 申命記第一八章九節から十四節とレビ記第二〇章六節によると、神は生きている人が死人と交信するのを厳しく禁じています。ルカによる福音書で、主はハデスにいる金持ちについて語りました。その人は、ラザロを生きている人の地に生かせるよう主に懇願しましたが、主はそれをされませんでした。死人はハデスまたはパラダイスにいます。彼らは生きている人の地に戻ることができません。死人が生きている人の地に戻ること、または生きている人が死人と交信することは、占いをすることです。聖書はこれを厳しく禁じています。

 占い師または魔女は、悪鬼と交信する女です。その女は、実際にはただ一つの悪鬼と通じることができるのです。そのような女は、悪霊をよく知っています。占いにおいて、悪鬼は多くの死んだ人の霊であるふりをします。占い師が交信する人は、実際には死人の霊ではなく、悪鬼です。聖書の中で、サムエル記上だけがハデスから上がってくる霊について語っています。サムエルが死んだ後、彼の霊は呼び出され、彼はサウルをしかりました(サムエル上第二八章)。サウルの死の理由について語っている唯一の個所は、歴代志上第十章十三節から十四節です。それは、サウルが死んだのは、彼が霊媒によって伺いを立てたからだと言います。モーセの律法は、女が霊と交信することを禁じました。そうした人は石で打ち殺されることになっていました。占いをする者は、みな異教徒です。

Top

9.女性が教えることに関して

 テモテへの第一の手紙第二章、コリント人への手紙第十四章、啓示録第二章はすべて、神は女性が教えるのを禁じていることを示しています。女性によって始められたり、女性に率いられている分派、または女性が男性と同じ地位を占めているどんなグループも、非常に疑わしいです。世界の異端の半分以上は、女性によって始められました。例えば、クリスチャン・サイエンス派の創始者はメリー・ベーカー・エディーでした。また、セブンスデー・アドベンチストの創始者はホワイト夫人でした。聖書がローマ・カトリックについて語るとき、それもまた女イゼベルの教えを指しています。

Top

10.主の再来に関して

 異端の原則は、サタンが主がしていることを模倣するということです。例えば、主は病気を治します。サタンも病気を治します。主の再来に関して、異端は人を混乱させようとします。例えば、ある人は主がある日ある場所に来ると主張します。予言されたように主が来ない場合、人は主の二番目の再来に関する真理そのものを無視するか、軽蔑し始めます。サタンは、そのような恥ずべき出来事によって主の再来に関する真理を中傷するのが好きです。主がすぐに来ることは真実です。そして、多くの人は将来の予言により多くの注意を払います。この理由のために、予言に関する異端はより多く見られます。どんな分派やグループでも、主がある日ある場所に帰ってくるのを待つと主張するなら、あなたはすぐにこれは異端のグループであると言うことができます。だれかが自分は二人の証人のうちの一人である、または三人の天使の一人であると主張しても、彼を信じないでください。だれかが自分は聖書に述べられているある人物であると主張しても、彼を信用しないでください。主は、ある日人が「見よ、ここにキリストがいる!」「ここにいる!」と言うと言っています。(マタイ二四・二三)。彼らを信じないでください。それはうそです。

 わたしたちは、何にも信頼を置いてはなりません。わたしたちが追求しなければならない唯一の事は、啓示録第三章のヒラデルヒアに在る教会になることです。別の者が、自分は啓示録やダニエル書で述べられているある人物であると言うかもしれません。彼らは異端です。わたしたちは彼らを受け入れてはなりません。終わりの時に、異端は増加します。そういうわけで、わたしたちは見分けなければなりません。彼らを試してみようと思わないでください。そのような好奇心は、いつもわたしたちの霊に損害を与えます。わたしたちが彼らを試すなら、毒を飲むことになります。上記の十のテストのいずれかを通過しない者はみな異端です。わたしたちは彼との少しの交わりもしてはなりません。こうした教えは中国で日々起こっています。わたしたちはそれに対して警戒していなければなりません。

ウォッチマン・ニー ウォッチマン・ニー全集第五○巻 初信者を成就するメッセージ(三)pp.537-551

Top

Top